スペイン語、乗り切る。あんなに緊張したのは高校最後の水泳の試合の時以来だった。終わった瞬間に膝から崩れ落ちてしまう。
一個乗り切ったので自分へのご褒美というか、ただ我慢できなかっただけでアジカンのベストを買う。
アジカンは中学の頃からずっと聞いている。ギターを手にしたのも、実は眼鏡をかけるようになったのもアジカンに憧れてっていうくらい実はどっぷりアジアン・カンフー・ジェネレーションなのです。周りで聞いてた友達はアジカンなんてまだ聞いてんのかよレッチリ聞けよとか言ってどんどん聞かなくなっちゃったけど、新しいアルバムが出るたびに隠れてこっそり聞いて毎回感動してた。
そんなアジカンも遂にベストアルバムを出すなんて、と勝手に感慨深くなっている。「新世代のマスターピース」なんて言われちゃって、まったく。気づけばループ&ループのマネをしてホウキで遊んでたクソガキも大学2年生で試験に追われており、その間にアジカンは6枚のフルアルバムを出している。おとなになったんだなあ。
内容はとても良かった。自分にとってルーツ・ミュージックみたいなものだから当たり前なんだけど。中学校の時、自転車に乗りながら800円のイヤホンさしてMDで聞いてたアジカンも、ipod買って飛行機で聞いてたアジカンも、今、5万くらいのヘッドフォンから聞こえてくるアジカンもぜんぜん違うんだけど当たり前のようによかった。
恋する円盤のドラムの薫平もアジカンがとっても好きだ。彼にもまた違って聞こえるんだろうな。感想聞きたいな、ちょっと歳が離れているので面白いだろうな。
まぁこういっといて全部のアルバムを持ってるので、本来のお目当ては初回についてくる君繋再現ライブのDVDなんだけども。こういうところも意外とファンサービス旺盛でいいなあと思う。まだ、見てないけど楽しみです。
岡崎京子の東京ガールズブラボーを読む。しんのすけさんすみません、又貸ししてもらいました。
作品自体よりも「作品を読んでいる自分」がとても不思議だった。作品自体は明るく、未来があるなと思う。でも、それを読んでいる自分っていうのはどうして僕達にはこういうことはなかったんだろうっていう後悔がある。それは自分たちのせいなのかもしれないし、時代のせいなのかもしれないし、誰も悪くないんだろうな。でも、僕はこの作品を読んでいる自分が感じる青春の後悔っていうのが強いて言うなら恋する円盤により近いなと思った。
作品中に「ずっと続けばいいのに」というフレーズがでてくる。作品中では、それは未来や明日のことを考えてずっと続けばいいのにというフレーズが残されたんだろうなと思う。でも、僕達がずっと続けばいいのにって思うことはいつだって昔のことを思い出して思うことばっかりだ、あの時がずっと続けばよかったのに、そればっかりな気がする。
作品中にでてくる80年代用語のほとんどがわかったのが一番面白かった。本当にずいぶんとおとなになったなあ。ベン・ワット聞かないでアジカン聞こうぜということで君繋DVDを見てくる。
試験だ。まずはスペイン語に横面を思いっきりひっぱたかれ気合を入れられ、2週間くらいの試験期間。とりあえず、「留年、やばい」といって自分を追い込む。
勉強をしているとき、僕はよく繰り返し同じ映画を観る癖がある。例えば、前期の試験期間中はパイレーツ・オブ・カリビアンシリーズをひたすら見ていた。1を見て2を見て3を見て、もう一回見て、飽きたから字幕なしで見て、もっと飽きたから脚本家のコメント付きで見て、一回りして吹き替えも悪くないなとか思いながらずっと見ている。よくわからない癖だ。
後期はゴッドファーザーシリーズでも見て気を抜かない様にしようかと思う。
映画に関しては素人感覚の僕だが、1つだけ「これ、好きな俺ちょっとかっこよくね?」と思ってる映画がある。「ボーイズ・ドント・クライ」。凄く好きな映画だ。好きな映画っていう表現はそぐわないかもしれない。印象に残っている映画っていうほうが近い。見たことのない人には見て欲しい。ついでにthe cureも聴こう。余談だが”Boys Don’t cry”というフレーズを「泣くなよ、お前ら」っていう表現だと思ってた。なんでだろう。
恋する円盤について、書こう。恋する円盤に関して書くのは初めてだ。僕の雑記にはあんまり近しい存在の固有名詞がでてこない。潜在的に心がけている。特に理由はないんだか、あんまり出したくないなっていうのもある。でも、ちょっと書こうと思う。
ボーカルギターの大塚と三時間くらい話す。新しいギター欲しいとか、成人式がどうだったとか、岡崎京子マジオススメとかそんな話もしつつバンドの話をする。
僕達に足りないものは一体何なんだろう。多分、自信なんだろう。それと”思い”なんだろう。僕達は僕達のためにしか曲を作っていないんじゃないかなって思う。僕達の知らない人、どこかで僕達と同じように感じている人たちに届けようっていう気が欠けているんだと思う。いい曲だねって言われたら満足している自分たちがいた。世の中にいいバンドやいい曲は正直言って腐るほど(もう本当に腐るほど)ある。昔の人も含めたらもうビートルズとあとちょっと入れば十分なくらいにいい曲ってのはある。でも、新しい音楽を求める人はやっぱりいる。僕の凄い勝手な見解だけど、いい音楽っていうのは孤独の共有ができる音楽だと思う。音楽が好きな人、バンドが好きな人っていうのは大抵、孤独な人ばっかりだ。別に友だちが少ないとかじゃない。なんかどことなくこう寂しそうな雰囲気を持った人ばっかりだなって思う。その人達の孤独を大切に埋めてあげる、共有してあげれるバンドになれたらなと思う。ならなきゃいけないなって。わかってほしい、わかってやるの繰り返しだと思うんだよな。バンドなんて。目の前にいる人達ももちろん大切だけど、まだ見えない人たちのことも考えようと思う。
大塚との話は結論として「俺達は考えすぎている」という事だった。最近のバンドマンはそんじょそこらのサラリーマンよりプラニングしてソーシャルにメディアアピールしてんだよ。ロックってなんだよ。円盤の話は以上。次は2月にライブやるんで来てください。秘蔵っ子ができたらいいな。
話変わって今日は、僕がベースを始める切っ掛けになった春らんまんのライブだった。ライブ終わったあとにベースの弾き方がいいって褒められた。マジかよ、おい。聞いたか、おい。ってテンションだったけど「ありがとうございます」と謙虚に返しておいた。凄い長い話だったけどためになる話だった。ライブハウスの人や見ている人の眼の良さ(視力じゃないよ)にいっつも驚かされる。個人的に2000円のチケットは高いっていう話になった時、2000円払ってでも見たいって思われるようになるつもりじゃなきゃだめだろって言われて。妙に納得してしまった。自分たちを300円程度のバンドにしているのは自分たちだった。終わったあとに向かいのラーメン屋にいきラーメン一杯1000円でおい、ラーメンのくせに調子乗ってんじゃねえぞ、大体てめえ元は中華の1メニューだったくせにでかい顔してうんたらかんたら思いつつも食べる。やられた。うまい。価値ってこういうことかとチャーシューを食べながら思う。まずはラーメンに負けないバンドになろうと思う。
預けていた友達から借りたベースのリペアが終わった。すごく(本当にすごく)安くしてくれて、とても丁寧に仕上げてくれた。よかった、よかった。綺麗になった分、打痕が目立つ様になったのが面白い。しばらく使わせてもらいます。代わりにグラバーを預ける。
試験前の予定は今日で全て終わった。なんとか試験に切り替えるために(留年、やばい)ゴッドファーザーシリーズを明日借りてこよう。早く寝るようにしよう。というわけでおやすみなさい。
あけましておめでとうございます。
正月はなんだかやたらとそわそわさせられて、いやもう今年で就活とかすんのか俺と思うと気持ちが焦って、でも世の中って上手くできてるんですね。おみくじのすみっこに小さいながらしっかりとした字で「焦るな」と書いてありました。全体としては小吉でしたが、小さいくらいでちょうどいいでしょう。どうでもいい話なんですけど、あのおみくじを紐に結ぶのがどうしてもできない。いつも、いつも破いてしまう。世の中の人はみんな器用なんだなあと思いながら、こんなことでバチを当てないでくださいとお願いする。
久しぶりに本を買いました。4冊。菊地成孔「スペインの宇宙食」(この人は本当になんというか本業のサックスもそうなんだけどフレーズが上手いなと毎度思わされます。)、村上春樹の「遠い太鼓」(エッセイ)と短篇集(題名忘れ)、ゼミの先生の本。今更ながらのお二人というか、まだ読んでないのにでかい顔してたのかお前という感じ。だって高いんだもん。
お正月特番の合間に菊地成孔「スペインの宇宙食」を読む。新年一発目にこんな隔世の人のエッセイなんか読むと自分までまともじゃない気がする。菊池さんの思想とかにはあんまり興味がないけど、この人の生活と独特の言語センスは面白いなあとつくづく思う。さっきも言ったけど、フレーズが上手い。ついでに料理も美味そう。フレンチ食べたいと伊達巻食べながら思う。
村上春樹といえばランナーとしても有名だ。「走ることについて語るときに僕の語ること」という本もだしている。そんな村上春樹の遠い太鼓を読みフレンチ食べたいなと思いつつ、こたつでお雑煮を食べながら箱根駅伝を見る。
僕は箱根駅伝がとっても好きだ。理由は諸氏と同じ。どうでもいいけど多分、甲子園が好きな人は箱根駅伝好きだし、箱根駅伝好きな人は甲子園も好きなんじゃないかな。そういえば父親に言われて思ったんだけど陸の王者と自称しているある大学は箱根駅伝でみたことがない。一体、何を根拠に申しておるのか。そんなことより気がついたら箱根駅伝に出ている選手が同じ世代になっているというのに今更気がついて驚く。チョコ一つ食べたら練習を増やす柏原選手にもっと驚く。類は友を呼ぶという言葉が不思議と浮かぶ。
さっきテレビを見ていたら、綾小路翔が「芸能界で生きるために必要なのは?」という質問にたいして「すきまを見つける」みたいな答えをしていた。いや、本当にそのとおり。別に芸能界だけじゃなくて生き残ると言うよりとっても成功するにはすきまを見つけるしか無い。すきまを見つけるためにはいろんなことを知ってなきゃいけない。すきまはものとものの間にしかできないからだ。うまい、すきまを見つけたい。
気づけば年の暮れです。昨日はもう終わったからもう後丸二日で2011年も終わりだ。
僕が子供の頃に未来はこうなってる!みたいなくだらないTV番組がやっていたのだけれども、その番組では確か2012年には惚れ薬ができている!みたいな話だったはずだ。一体どこでどう間違ってしまったんだ。惚れ薬どころか、世は草食系を売りにする時代になってしまった。
1年間を振り返ると、随分と周りに振り回された一年間だったなと思う。震災に始まり、ベースを弾いたり、モンゴルに突発的に行ったり、たりたり。特に下半期は疲れたな。”追われる”っていうのはこういう事なのかな。色んな事や人に追い掛け回されたみたいな感じだった。
自分は結構、器用な方でスケジュールとかあっても結構上手くこなせる方だと思ってたけど、さすがにきつかった。もう満身創痍でした、先週ぐらいまで。そういう時に限って、他人の一言、一言が妙に気にかかる。お陰でだいぶ、荒みました。来年からはそういうのをちゃんと絞ってやらなーいかんと自分も他人も嫌な思いをすると思うのでちゃんとしようと思います。
なんか書こうかと思ったけど、何も書くことがない。みかんがマジうまいってくらいですか。一日に10個くらい食べてます。今も食べてます。
それくらい何もないので今年一年間と来年に向けてを総括する言葉を最後に。
「一人でみる夢は夢でしかない。しかし、誰かと見る夢は現実だ。」
オノ・ヨーコなんて大っキライだけど、この言葉はとてもいい言葉だなと思う。
良いお年を。
雑記3
気がついたら年の暮れになっている。師走である。師走っていう字は「自分の師でさえも走っているくらい忙しい」というところからきている言葉だそうで、まさに文字通り、意味通り師走って感じな日々を送っている。
僕は種々様々な影響や考えてる事とかがあんまり表に出ないから逆にいつも損だなって思う。お酒を飲んでも赤くもならないし、まったく顔にでない。疲れてもあんまり体にでない。マジでかんべんしてくれよって時も。だから僕のそういうのに気づいたり心配してくれる人は本当にありがたいというか大事にしたいなって思う。
えーっと何が言いたかったんだっけ。そう、走っていると色んな事や物を見落とすのと同じように、疲れがたまると色んな事に対してただ過ぎ去って忘れていくだけになっていく。こうやって大人っていうのは出来ていくんだなって思った。まぁもう21なんだけど。
でもまだ21なのかって思う。もう40代くらいの気分だ。そんな事言うと親父とかに怒られるんだけど。でも、僕は本当にそう思う。ちょっと違うけどみんなは「1年って早いなー」とか「もう21か!」っていうけどそんなこと感じたことが一度もない。まだ21なのか。1年ってなげーよって思う。
こういう時、僕はどっか遠くに行きたくなる。自分をリセットしたい、フラットにしたい。っていう気持ちが強くなれば強くなるほど、どっか遠くに行きたくなる。でも、それを言ったら怒られた。びっくりした。今までそういうことを言うと行け、行けと良い事だといってくれる人ばっかりだったのに。ああ、大人になっていくんだなあ。責任とかしがらみとかクソ喰らえって。
旅が好きな僕の友達が3月にインドに行くらしくて、うらやましいなって思った。彼女はいつも自由を人一倍、大事にしている。計画的な自由を持っている。偉い。僕は突発的に自由になりたい人だからいいなって思う。突発的な自由ではなにも手に入れられないし、何も変わらない。
なんだかもっと言いたいこととかをストレートに言えたらな。傍若無人って言葉に憧れる。もうそろそろそういうのが許されないんだったら最後にド派手にやってしまおうか。来年は、傍若無人を目標とした1年にしようかな。はは。
“・そして、「ひとり」の部分を失っていて、
群れとしてしか生きてない人は、
「おおぜい」というモンスター人格になっちゃいます。
ぼくは、若いころから、よく
「ひとりでいる顔が想像できない人は、嫌いだ」と、
生意気にも公言しておりました。
これは、実はいまでも思っていることです。
たいていの、いい男やいい女は、
ひとりでいるときの顔をしっかり持っています。”
“配膳中学の少女「被災地の人たちのことを考えたら、給食がすごくおいしく感じる」”
“ソニーでもパナソニックでもいいけれども、小さなカメラで何かを撮ってごらん。私たちが昔、16ミリでも高すぎてできなかったことが、今はできる。同時録音もほとんど録れなかった、今はそれができる。好きなように撮影ができる。最初は、あなたの一日を撮ってみなさい、このように言います。朝起きてから、夜寝るまで、そして夜も夢を見ている。その一日を撮りなさい、本当のあなたの一日を撮ってみなさい。警察に話すようなやり方ではいけない。朝起きて、歯を磨いて、コーヒーを飲んで、仕事にいって、友達と会って話して、それから寝た、これは本当のあなたの一日ではない。本当のあなたの一日を語るように試してみなさい、こういう風に言います。カメラを使って、映像と音を採って、本当の一日を果たして語ることができるのかどうか。採ってみたら、本当の一日は語れないということがわかる。自分にはできない、本当の一日がこのカメラで語れないとわかったら、ハリウッドに行きなさい。ハリウッドでは受け入れてもらえるだろう(笑)。しかし、もしも自分が本当の一日を撮れたと思うなら、友達やお母さん、あるいは身近な人に見せなさい。見てもらって、果たして映画館の入場料と同じ十ドルを、これに対して払うことを受け入れてくれるかどうか聞きなさい。おそらく、観客は、自分に本当に近い人であっても、あなたの本当の人生にはまったく興味がないことがわかるでしょう。そうすれば、本当の映画とは何かという問題提起をはじめることができるから、二本目では、少し成功する機会が出てくるかもしれない。こういう風に言います。”